欲しいもの探せ!〈欲しいものがなくなった日〉

欲しいもの探せ!〈欲しいものがなくなった日〉

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僕が18歳だったころ
欲しいものが一番たくさんあった。

しかし、ある時に欲しいものがなくなった。

それは、山での生活をしたときのことで
「生きるために生きる」ようになったからだ。

当時、僕は何にでも興味があって、何でも欲しかった。
カタログを集めたり、専門書を買ったりすると欲しいものは増えていく。

また、買ったものを更に楽しむために
オプションやソフトなども必要で
どんどん欲しいものが広がっていった。

たとえば、音楽。

僕は歌が好きで、レコードを毎月買っていた。

最新のオーディオを買ったり
真空管アンプを作ったり、キットを組み立てたり
いい音で聞く工夫もしていた。

そして、そのシステムで
レコードをテープに録音して
自作のテープを作ったりしていた。

ウォークマンを常に持ち歩いて
僕はいつも音楽と一緒だった。

ある日、旅に出た。
電車に飛び乗り気がつくと信州の上高地についた。

そこで、信州大学山岳部のベースキャンプと出会いがあり
そのまま寝泊まりするようになった。

標高1500mの山での3ヶ月の生活が始まったのだった。

最初は観光気分だったので、ジュースやお菓子
ウォークマンの電池を買いに
バスセンターの売店まで降りていったりした。

山での生活が始まって1週間ぐらいすると
山の生活のリズムに慣れてくる。

朝7時頃起きて、朝ごはんを食べる。
ゆったりと自然を満喫していると昼ごはん。

午後からは、布団を干したり掃除をしたりしているうちに
夕食の準備が始まって、晩ごはんを食べて寝る。

そして、ここには新聞もこなければテレビもない。

ほとんど曜日や日にちの感覚がなく
ただ毎日そんな日々の繰り返しだった。

僕が山で繰り返している事はすべて生活に直結している。
ごはんを作る。それはご飯を食べるため。

薪を拾いに行ったり、火をおこしたりもする。

布団を干すのは自分が気持ちよく眠るため。

それら全ては自分が心地の良い生活を
するために直接つながっている。

今、現代の世の中で生活していると
なかなか直結した感覚がもてない。

会社で働き、自分の時間を提供する
労働やノウハウを会社に提供することによって
お金をもらう。

そして、そのお金で食事をしたければ
レストランに行ったり
スーパーで材料を買って調理する。

たしかに、働くことで生活しているのだけれど
仕事と生活は直接関係なく
お金というものを使って物々交換をする事で
自分の生活のための衣食住を成り立たせている。

そして、生活を楽しむために
労働で得たお金で映画を見たり
音楽を聴いたりする。

その楽しみをもっと増やすために
更にたくさん働く。

そうすると、疲れたりストレスがたまるので
それを解消するためにマッサージを受けたり
飲みに行ったりする。

そして、またお金が必要になるのだ。

なんだか、悪循環なような気がする、、、。

そして、会社を休んで仕事をしないでいると
自分が困るだけでなく誰かが困ったり
会社に不利益をあたえたり、社会のルール違反だったり
それをしていかなければ快適に過ごせなくなる。

ところが、山での生活は、自分がしたくなかったらなんにもしなくてもいい。

そうすることで、自分は確かに快適ではなくなるが
誰かに迷惑がかかるわけでもないし、誰かに怒られることもない。

とにかく、何もかもが自由なのだ。

何時まで寝いてもいいし、何時まで飲んでいてもいい。
学校にも会社にも行かなくていい。時計さえも必要としない。

そんな自由な生活を1ヶ月続けていると
いつのまにか規則正しい生活になっている。

誰にも縛られていない事で、自分の生活のパターンと自然とが調和しながら
ちょうどいいところが見つかるみたいだ。

毎朝7時なると自然に目が覚めるし、散歩の時間も決まってくる。
そして、一見その単調に見えることが、とても楽しくなってくるのだ。

最初は、ウォークマンを聞きながら散歩をしていたけれど
それもだんだんと必要としなくなる。

川の流れ、小鳥のさえずり、木漏れ日などを感じることが出来るようになり
散歩自体を楽しめるめるようになるのだ。

そんなふうに山で暮らしていると、ウォークマンはほとんど聴かなくなり
缶ジュースも飲まなくなった。
よって、コンビニもいらない、電気もいならい、電話もいらない。

そうして、お金を使わないですむ生活ができるようになってきて
欲しいものがどんどんなくなっていく。

こんな自然と自分が調和した状態であれば
僕みたいな欲の多い人間でも、物質的なものを欲しがることがなくなっていき
精神的に安定した状態で生活していくことができる。

そうして、「生きるために生きる」という生活自体が楽しくなり
なんだかとても満足感を味わえるのだ。

そして、不思議と力がわき出てきて
なんだか無性に色々なことをやりたくなるのだ。

僕が今、本当に欲しいものは
こんな山での生活や精神的状態のことかもしれない。


この社会にすんでいると、欲しいものや必要なものが出てきて
それを手に入れようとして、仕事をする。

そうすることによって収入を得て、その収入で衣食住に必要なものを買い
そして、生活を楽しむ為に更にお金を使う。

なんだか、自分の価値観が麻痺していき
本当に自分の欲しいものが分かりにくくなっていくのではないのかと思う。

直接、自分の本当に欲しいものではなく、今の生活をさらによくするものであったり
今の生活において足らないものを手に入れようと収入を増やしていく。

収入が多く、仕事ができるという人は
もしかすると、社会というルールの元でのゲームのうまい人のことで
本当に自分の人生を楽しんでいる訳でなはいのかもしれない。

本当の自分らしさを取り戻すために、現代の一般常識や社会常識に捕らわれずに
自分にとってなにが一番必要なのかをもう一度考えてみたいと思う。



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覚田義明コラムについて
このコラムは、僕(覚田義明)が1999年、34才の時に書いたモノです。
会社を設立して4年目の行き詰まった時、その時の自分の思いをまとめて
おこうと思い書いていました。
友人達に毎朝送っていたメールマガジン「ふくおかTODAY」に掲載して
いた「コラム」で、僕の考え方や物の見方、また様々なものに対しての感想を
書いています。
毎週1本のペースで書いていき、全部で64本になっていました。
それらを、今回2011年に少し修正して記載しています。
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